日付 | 文字数 | 得点 | 回数 | 累計 | ノーミス率 | コメント |
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2004.11.2 | 2187 | 2625 | 12 | 12 | 33.3% | とりあえず1級。2265文字(ミス2)も出た。 |
2004.11.3 | 2304 | 2765 | 34 | 46 | 38.2% | 暗記のために怒涛の集中打。 |
2004.11.4 | 2394 | 2873 | 20 | 66 | 40.0% | 初段。2441文字(ミス1)も出た。朝練開始。 |
2004.11.5 | 2538 | 3046 | 18 | 84 | 55.6% | 二段。2550文字(ミス1)も出た。 |
2004.11.6 | 2648 | 3178 | 26 | 110 | 65.4% | 2600文字台に。まだ暗記が定着していない。 |
2004.11.7 | 2689 | 3227 | 24 | 134 | 66.7% | 三段。暗記が少しずつ定着してきた。 |
2004.11.8 | 2710 | 3252 | 15 | 149 | 46.7% | 2723文字(ミス2)も出た。目標を2800文字に上方修正。 |
2004.11.9 | 2823 | 3388 | 15 | 164 | 53.3% | 目標を2900文字に。新課題用紙には3153文字印刷。 |
2004.11.10 | 2853 | 3424 | 15 | 179 | 66.7% | 四段。 |
2004.11.11 | 2806 | 3368 | 15 | 194 | 40.0% | 一時的に成長停止。 |
2004.11.12 | 2857 | 3429 | 14 | 208 | 71.4% | 2884文字(ミス1)も出た。2800文字台を5回記録。 |
2004.11.13 | 2892 | 3471 | 21 | 229 | 81.0% | 暗記ほぼ定着。次は安定感の向上だ。 |
2004.11.14 | 2948 | 3538 | 15 | 244 | 73.3% | 2900文字台が4回出た。暗記範囲を3033文字まで拡張。 |
2004.11.15 | 2898 | 3478 | 14 | 258 | 64.3% | 2956文字(ミス2)も出た。 |
2004.11.16 | 2986 | 3584 | 14 | 272 | 78.6% | 3000文字台見えたっ! |
2004.11.17 | 2931 | 3518 | 14 | 286 | 57.1% | 3030文字(ミス4)も出た。本番の目標を3000文字ノーミスに。 |
2004.11.18 | 3024 | 3629 | 15 | 301 | 86.7% | 五段。しかも2回! |
2004.11.19 | 3074 | 3689 | 9 | 310 | 100.0% | 歴代毎パソ自己ベスト! 五段3回! |
2004.11.20 | 3088 | 3706 | 18 | 328 | 88.9% | 五段4回! 連続ノーミス記録23! |
2004.11.21 | 3133 | 3760 | 7 | 335 | 85.7% | 3100文字突破! 本番は2918文字(ミス0)。 |
第一には、やはりライバルの増加が挙げられる。今回は前回優勝者である谷口さんこそ不参加だったが、原田さん、小森さんという第3回からのライバルに加えて鰺坂さんという新たな強豪も参戦。全員が「美佳テキスト」で筆者と同レベルかそれ以上のスコアを持つ英文のエキスパートであり、またしても無策で挑めばトップ3にすら入れないという危機感が生まれた。もはや前回まで3回連続2位という実績など全く通用しない。背水の陣で挑まなければ惨敗あるのみである。一方、正確さ最重視の長文ではまだ勝機があると考えており、無策で挑んで負けるのは悔しかった。実際、原田さんが11月5日に2905文字(ミス0)、20日に3188文字(ミス1)を叩き出した時は戦慄し、モティベーションの炎が一気に萌え燃え上がったものである。
第二には、前回に続いて「全日本タイピスト連合」という団体で参加したことである。これも筆者にとっては危機感となった。原田さんと鰺坂さんは連合参加者でもあるが、他にも森井さん、穂坂さんが実力をつけてきており、うかうかしていると敗北しかねない雰囲気であった。さらに、予選大会でも決勝大会でも「全日本タイピスト連合(の英文エース)」の看板自体が重圧となってのしかかった。リラックスしているように見えても、内心では相当のプレッシャーと闘っていたのである。本番では今までに体験したことのない凄まじい緊張感に襲われた。トランス状態すら通り越していた。もっとも、生まれたのは危機感や重圧だけではない。第3回と同等のハイレベルな競争環境の中で、己の力がどれだけ通用するのかという気分の高揚も存在した。
第三には、練習の質と量を圧倒的に高めることでスコアに確実に反映されていくという事実自体に、求道者としての満足感を味わえたことである。第2回までは目標が甘かったために単に毎日打つという対策だけで臨んでいたが、それだけでも初見時と比べるとかなり高いスコアが得られた。だが第3回や第4回では、秘策を次々と発案し、それが的中してスコアが飛躍的に伸びていった。特に今回はスコアも連続ノーミス回数も自己ベストを大きく更新し、壁をぶち破るという歓喜があった。こうなると練習という行為自体が楽しくなり、練習量が増えてそれがまたスコア向上に結びつくという好循環が生まれる。これはタイプウェルや美佳シリーズを極めてよりハイレベルのスコアを出すのと全く同じ感覚であった。また、毎パソでは予選や決勝の上位者ランキングが公表されるということも、競争心を煽る一因となった。昔から、ランキングに参加したらトップを目指している。ここでは連合の英文エースとして、ノーミスで1位を奪取することを最低限の条件として自らに課した。
予選 | 文字数 | ミス | スコア | 2位との差 |
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6月予選 | 2818 | 0 | 3382 | 554 |
10月予選 | 2860 | 0 | 3432 | 646 |
だが11月決勝では原田さん、小森さんと実力が伯仲しており(というかやや不利であり)、予選と同様の戦略では勝ち目がないと判断した。そこで、まず11月に入ってからは禁欲生活に徹し、すべての雑音をほぼ完全にシャットアウトした。禁断症状まで出たTODすら、完全に封印。そして最初の1週間で暗記を完了した。腕と指を殺すつもりで1日に34回打ったこともあった。気合を入れるためにビンタをぶちかましたことも一度や二度ではない。地獄の早朝特訓も本番までずっと続けた。本番の凄まじい緊張感を克服し、「ノーミスで優勝」という結果を出せたのは、この執念があったからこそである。
同時に、20日間という超短期決戦である点を勘案すると、真のスコアの公開は明らかに得策でないと判断した。そこで日記には真のスコアよりも一定量だけ低い文字数を掲載した。いや日記だけではない。IRC、mixi、メッセなど、使えるメディアはすべて使い、アンテナを張り巡らせてライバルたちの動向を全力で収集しつつ、自分のスコアと練習回数については偽の情報を流し続けた。言うなれば、徹底した情報戦を主導したわけだ。この程度の駆け引きで原田さん、小森さんが油断するとは到底思えなかったが、最後の力は最後の最後まで温存してこそ意味がある。また、減らした分の数字がバレないようにするためには、当然ながら早い段階で高いスコアを出し、その後も更新し続けるしかない。これが、今回の狂気じみた練習の新たなる動機付けとなった。
また、今回は決勝大会での目標の公言にも気を使った。第3回では決勝直前に3000文字ノーミスという目標を公言(高言?)してしまい、ライバルたちに刺激を与えてしまった。今回はこの失敗を生かし、当初は2600文字(ミス0)、7日に少し上方修正して2700文字(ミス0)という、本番で確実に達成可能な数字を公言するにとどめた。一部の人に対しては2800文字(ミス0)を宣言していたが、真の目標である3000文字(ミス0)は決勝本番が終わるまで誰にも明かさなかった。今回は、自分のポテンシャルを引き出すために自分を追い込んだだけではない。11月に入った時点で、既に崖っ淵まで追い込まれていたのである。
当日の服装はスーツにネクタイ。ここから赴く場所は間違っても「オフ会」などではない。「戦場」である。だから戦闘服を装備していくのはもはや当然だ。前日に頭髪を切断して気合を入れたのもこのためだ。外見と内面、両方の戦闘準備により、当日はオーラというよりは殺気を醸し出すよう努めた。なお、当日同種のオーラを発していたのは連合内では谷本さんのみ。もっとも隅野さん、植松さんに至っては逆に余裕を漂わせていた。圧倒的な実力を有する者のみに許される雰囲気。だが、そこまでのレベルに達していない筆者にとって、盤外戦術の駆使は止むを得ない選択肢だった。
会場には9:15到着。英文組は10:00集合だったが、とっとと到着して気合を入れるのはこれまた当然。ちょうど仁平仁さんが決戦場の下見を済ませたところだった。この辺の心得はさすが歴戦の勇者である。上のフロアでは和文&数字組が受付を行っていた。その後食堂に移動し、大量に持ち込んだノートPCやキーボードを駆使して毎パソ課題……と思いきや、TOD2004対戦が始まっていた。英文組では鰺坂さんが朝一番で到着しており(夜行バスで6時東京着!らしい)、穂坂さんも9:30には到着。穂坂さんはなぜか接着剤を探していたので理由を聞いてみると、何とキーボードの足を立てた状態で鉄拳制裁をぶちかましてしまい、足を破壊してしまったとのこと! こちらも気合入りまくりだ。引き締まった、イイ雰囲気である。
9:45。英文組待ち合わせのため、竹橋駅に移動。もちろん目印はAMSエージェントで! 今回初対面となるKeYさんを識別し、原田さん、Denさんともすぐに合流。森井さんは少し遅れるとのことだったので、先に受付に移動。なお、第4部(英文B)の決勝参加者はほぼ全員が連合メンバーであり、小森さんとも第3回決勝やその少し後のTOD2004大会で面識がある。ぽぷらさんとは今回が初対面だったが、10月にTOD2004で対戦したことがあり、もはや連合の一員と同じ感覚であった。この辺はもはや馴れ合いと化していた感は否めない。
途中、1回は課題を打っておくか、ということで英文を打つ。原田さんは2回打って両方とも2600〜2700文字台、ミス9とヤバそうな雰囲気。だが、ハマった時の打鍵速度があり得ない。さすがは美佳900台のスピードの持ち主である。一方、筆者は2829文字(ミス0)。この段階では真のスコアを誰にも明かしていなかったため、あまり高いスコアを出しては怪しまれると思って意図的にセーブしていた。だが、この時点で勝利を確信、などということはもちろんできなかった。情報戦のやり過ぎで疑心暗鬼になってしまい、原田さんも流して打っているように思えてならなかったからだ。
昨年の谷口さんに対して抱いた思いとは異なり、原田さん、小森さんに対しては同格のライバルと見ていた。連合内ではいろいろ情報交換していたし(要注意ワード、1行すっ飛ばし要注意箇所等)、皆でノーミスで打ち抜けてTOP3を独占できればいいなと考えていたが、こと個人戦に至ってはライバルたちはすべて打倒すべき相手であるとしか考えなかった。いやむしろ、相手よりも自分である。3000文字ノーミスを叩き出せば結果はついてくる。今日の自分ならばそれができる! と念じていた。
11:15、ついに英文組の召集がかかり、会場に移動。競技開始の11:45までの待ち時間が曲者である。次第に高まる緊張感。キーボードを持っていながら、打鍵ができないもどかしさ。ただひたすら、待つだけの時間。なお、会場に入ってからは用意していた革手袋を装備し、腕を組んで指先の冷えを回避した。昨年のように外気にさらされるということはなかったが、準備は万全に整えるべきだ。そして高まりすぎていた緊張感が次第に収束し、闘志に変わっていくのを自覚した。トランス状態に突入である。
11:45、よう〜やく着席。速攻で伝家の宝刀、東プレRealforce89Uを接続し、コンパネのキーボード設定をすべて最速に。練習用ソフトの起動も速攻で。そして与えられた3分間で英文課題を流し打つ。トランス状態はこの時点でまだ持続しており、第3段落まで1598文字を2分42秒で打ち切った。3000文字に近いペースであり、練習としては十分だ。残り18秒は打鍵をやめ、疲労回復に努めた。なお、本番ソフトに改行位置のズレはなかった。かなりほっとする。
その後もこの遅れを取り戻せない。早打ちできるところは早打ちしていくが、何しろ「ミス←→BackSpace」があまりにも多い。そしてそういう時に限って周囲の凄まじい打鍵音が耳に入ってきて、焦りを増幅させる。第3段落終了が2分15秒。この時点で、3000文字突破に黄信号。練習時に3000文字を突破した時は、ここまで遅くとも2分13秒以内で突破している。緊張感に加えて、焦りが芽生えた。
なお、ミスはすべて即座に気付いて修正した。ポイントは、画面のみをずっと凝視して紙を一切見ないことだ。英文を暗記しているだけではなく、単語・構文・意味のすべてを完璧に把握しており、かつ打鍵結果を常に確認しているから、これが可能となる。筆者のノーミス率が高い理由はここにある。もっとも、昨年決勝で2ミスした悪夢もあり、決して気は緩めない。
第7段落。指が動かねえええええ! ミスが増えまくりAgain!!!!! ともすれば崩れかかる自分自身を必死に叱咤し、諦めず何度でも体勢を立て直すが、気ばかり焦って指は思い通りに動かない。「ミス←→BackSpace」ばかりが量産され、全然スピードに乗れない。この段落のベストラップは31秒であり、アベレージも35秒を切っているのだが、ここで40秒近くを費やしてしまった。終了タイムは4分40秒弱。もはや、3000文字を狙うどころか2900文字すらビミョウというペースである。昨年までの筆者ならば、確実に崩れ去っていただろう。だが、ここからが昨年とは違った。
第8段落。昨年と同じ轍は踏まない。ここ数日集中練習していた段落であり、快調にぶっ飛ばしていく。改行位置のチェックも完璧だ。最後は第3文冒頭、The realityのreaまで打って終了。ラスト2秒は完璧に正確に打てる速度まで大幅に減速。文字通り、1文字ずつ打って終了した。昨年の筆者ならrealityまで早打ちし、最後の最後でミスしたかもしれない。だが、ここでの1ミスは約150文字のロスと同じなのだ。このことを身にしみて分かっていたからこそ、自然とこの対処ができたのだと思う。◆本番開始前まで2 〜長い長い待ち時間〜
この後は長い長い待ち時間である。小森さんに久しぶりにお会いしたり、長い間会いたいと思っていた植松さんに念願の初対面を果たしたり、仁平仁さんと秘策の話をしたり。森井さんは毎度のことながら、得意のプレッシャー攻撃に出ていた。「今年も最後の最後でミス爆死ですよね?」とか。◆いざ、本番開始! 〜凄まじい打鍵音と重圧〜
そして戦闘開始。自分はこれまで幾多の修羅場をくぐってきたのだ、必ず3000文字ノーミスを達成できると強く念じつつ、スタートを切った。なお、両隣が第3部(英文A)でトップクラスの実力を持つ山村さんと溝口さん(だったと思う)。さらに、真後ろが原田さん、左後ろが小森さん。練習の時は気にならなかったが、いざ本番となると打鍵音が凄まじい。また、机がわずかに揺れるのも気になった。机の揺れは来年以降対策してもらうとして、打鍵音については耳栓でも用意しておけば良かった。マジで。この打鍵音に何度自分のペースを崩されたか分からない。そしてここでトランス状態が終了し、再び襲いかかってきた凄まじい緊張感も手伝って指が硬直。Shift地獄の第1段落ではその影響をまともに食らい、やや出遅れた。◆後半戦 〜最後の最後に要注意!〜
その後も状況はなかなか好転しない。第5段落打ち切りが3分15秒くらいで、やはり持ち直せていない。この時点で既に3000文字は絶望である。第6段落は開き直って飛ばし、ほとんど詰まらずに突破したが、打ち切りが4分00秒くらいで、まだ追いつけない。そして再び、猛烈な緊張感が襲いかかってきた。
部門 | 部門内容 | 連合表彰者(大臣賞) | 連合表彰者(その他) |
---|---|---|---|
第4部 | 英文B | 中山貴之(内閣総理大臣賞) 鯵坂明(総務大臣賞) | 原田拓也(第2位)、森井健之(第4位)、 穂坂有造(第5位) |
第5部 | 和文A小学生の部 | 栗間友章(文部科学大臣奨励賞) | ─ |
第5部 | 和文A中学生の部 | 渡辺歩(内閣総理大臣賞) | 谷本喜基(第3位)、小川竜也(第10位) |
第5部 | 和文Aシニアの部 | ─ | 設楽良昭(第8位) |
第6部 | 和文B | 隅野貴裕(名誉大賞) | 三木陽一(第2位)、仁平由香(第3位)、 高橋直大(第4位)、山内朋子(第6位)、 鈴木淳平(第9位)、赤星暢一(第10位) |
第7部 | 数字・記号一般の部 | 植松洋史(経済産業大臣賞) | 仁平仁(第2位)、浅羽英隆(第4位) |
※内閣総理大臣賞もしくは名誉大賞が出た部門では該当者が「超1位」となり、他の人の順位が1ずつ繰り上がる。
例えば第4部の原田さんは実質3位だが、「第2位」として表彰される。
デモンストレーションでは慣れないキーボードと本番にも増して激しい緊張感に襲われ、見るに耐えない結果しか残せなかった。いくら悪条件が重なったとはいえ、438文字(ミス0)って何だよ……。昨年700文字以上打った谷口さんとの格の違いをここでも痛感した。
内閣総理大臣賞を獲得するとインタビューや写真撮影が待っている。回答内容はあらかじめ用意しておいた。というか前回までの大会でも経験していたことなので、内容はだいたい分かっていた。練習回数とか練習時間とか感想とかを淡々と回答していった。強調したかったことは「335回の練習」「次回は五段を目指す」の2点。写真撮影は新聞用と毎パソサイト用と連合用とで別々に。なお、連合では奪い取った20個近いカップ・トロフィー・盾を並べて写真撮影。壮観である。
その後は「全日本タイピスト連合」メンバー(一部そうでない人も含む)38名で打ち上げ。発狂レベルの練習からも、情報戦を主導した人間不信の日々からも、ようやく解放されたことを実感できた。その後は当然TOD対戦。21日間も封印していたのだ。これで禁断症状からようやく解き放たれるというものだ。
大会 | 日付 | 文字数 | ミス | 得点 | 順位 | コメント |
---|---|---|---|---|---|---|
第1回決勝 | 2002.2.24 | 2281 | 0 | 2738 | 2 | 隅野さんと61点差。パソ検大賞。 |
第2回決勝 | 2002.9.22 | 2424 | 0 | 2909 | 2 | 隅野さんと98点差。総務大臣賞。 |
第3回決勝 | 2003.11.15 | 2893 | 2 | 3181 | 2 | 谷口さんと761点差。名誉大賞。 |
第4回決勝 | 2004.11.21 | 2918 | 0 | 3502 | 1 | 鰺坂さんと287点差。内閣総理大臣賞。 |
今回は徹底して「ノーミスでの優勝」にこだわった。これを有言実行し、全日本タイピスト連合の英文エースとして最低限の責任を果たした点は評価できる。また、文字数についても本番の激しい緊張感、焦りという悪条件の中でメンタル面を制御して本番では自己ベストとなる2918文字まで伸ばした(昨年決勝大会の文字数から25文字上積み)。これはひとえに、豊富かつ密度の濃い練習のたまものであったと断言できる。だが、反省点と次回の課題も同時に見えてきている。
それは、本番で己に勝てず3000文字を逃したことである。何しろ練習段階では自己ベスト3133文字(ミス0)を筆頭に13回ほど3000文字超えを記録しており(うちノーミスは11回)、本番で3000文字ノーミスを達成する絶好のチャンスだったのだ。335回の練習、16個の秘策、特にライバルたちや連合メンバーをも欺いた辛辣な情報戦を実行しておきながら、手の届くところにあった3000文字ノーミスを逃したことは、はっきり言って非常に悔しい。ライバルたちにも、IRCやメッセで情報交換していた方々にも、日記やmixiを読んでくれた方々にも、本当に申し訳なく思う。
この悔しさは、第5回毎パソ決勝で3000文字ノーミス(五段)を叩き出すことによってのみ晴らせるだろう。同時に、ライバルたちや連合メンバーに対する、せめてもの償いとなるだろう。当然ながらその過程は今まで以上に長く苦しいものになる。だが、タイピング求道者として、現状のままで終わりたくはない。
……新たなる闘いは、既に始まっている。
◆連合としての総括
今回も「全日本タイピスト連合」の一員として参加した。発起人・兼・事務局として今回も尽力された隅野さんのおかげで、第2回までの一匹狼的な闘いとはまた違った経験を積むことができた。隅野さんには、連合を発案した発想力と実際に立ち上げ引っ張ってきた行動力の両方に、改めて敬意と謝意を表したい。
前回と違う点は、隅野さんの負担を少しでも軽減すべく、当日の仕切りを分担したことである。英文は筆者が、和文&数字は仁平仁さん、山内さん、設楽さんがそれぞれ仕切り役となった。設楽さん以外は決勝参加者であり、当日の緊張感も並々ならぬものがあったと思う。筆者も前回までの隅野さんの苦労が少しは分かり、貴重な経験を積むことができた。
そして連合全体としても、「目立つ! 安くなる! 団結心! 思い出!」という当初のスローガンは十分に達成できたのではないかと思う。連合は実に60名を超える大所帯になり、しかも6月予選→10月予選→決勝と幅広い部門で上位を占め続けた。TOD達人と同様、連合参加者は今後の毎パソにてマークされ続けることになるだろう。だが、そうしたプレッシャーに打ち勝ってこそ連合の名が輝き続けることができる。筆者も連合の一員として、上位の一角として立ちはだかる存在であり続けたいと考えている。
……最後に、毎日パソコン入力コンクール主催者様には、この場を借りてお礼を申し上げたい。全国規模かつ全年齢層でタイピングの実力を競うことのできる公の場として、毎パソは現時点ではほぼ唯一の存在である。また大会を通じて全国の強豪との交流も進んでいる。このような貴重な機会を提供して下さったことに対して感謝の意を表明し、今後の毎パソの益々の発展と、ITリテラシーの普及を祈願しつつ、筆を置きたいと思う。